なぜ外に救いを求めるのか?

なぜ外に救いを求めるのか?

なぜ外に救いを求めるのか?

チルチル、ミチルの話は、誰もが知っている有名な童話です。幸福の青い鳥を求めて、さんざん各地を探して歩きましたが見つかりません。とうとう諦めて、家に帰ると、なんとその青い鳥は、自分の家に居たのです。これに類した寓話は、世界各地にあります。幸福は他人に求めるものではなく、それは自分の内にすでにある、という教えです。にもかかわらず、多くの人々は、この教えを生かせないでいるのです。

これはまた、宗教的な救いに関しても、同様なことが言えます。悩みからの脱却と、心の救いを求めて、多くの人が新興宗教の教団に入信し、大きな社会問題に巻き込まれております。これは、、依頼すべき他者を求めて、さまよい歩いている姿です。なぜ、人は、自分の内に、救いの主を見いださないのでしょうか?なぜ、「救いの主は他人の教祖である」と信じ、それに全面依存しようと願うのでしょうか?

数千年の昔、すでに、釈迦は、自分の中に、神性たるそれを見いだし、それを仏陀(ほとけ)と称しました。すなわち、それが「悟り」です。私たちは、誰でも、釈迦のように、自分の中に神性を見いだし、その神性をもって、自分の救い主とすることが出来るのです。これは、言ってみれば、我々は、一人一人が自分の教祖になり、自分を救い導くということになります。

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