完全主義と清濁のバランス

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古い友人たち数人が、都心で会合した時の話です。そこは日本料理屋だったのですが、友人の一人が、酒は飲むのですが、料理にはほとんど手をつけないのです。ただ、お新香程度のものしか食べていない。

聞けば、彼は玄米菜食主義者で、彼の家族全員が毎日、玄米食であり、子供も学校では給食をとらず、家から玄米菜食と野菜だけの弁当を持っていくという徹底ぶりです。

その料亭で、彼はこう言ったのです。「外食はしないようにしているんだ」その理由というのが、ふるっているのです。「外で旨いものを食っちゃうと、玄米菜食がまずくて、食えなくなっちゃうんだ」と言うのです。だから、我慢して、外では食わないでいる、というわけです。

友人たちは驚きましたが、そこは昔からの悪友のこと、「いいじゃないか、今日一日だけのことだ。明日から、それをまた始めればいいだろう」と、よってたかって勧めて、とうとう彼は、マグロの刺身を食べてしまったのです。一時間ほどした時、彼の顔を見て、友人の一人がびっくりしたように叫びました。「あれっ、あんたの顔、まっかにふくれているよ!」

彼の顔いっぱいにジンマシンが吹き出ていたのです。これは大変とばかり、彼はその場からすぐ医者に行ったのですが、治るまで五日間もかかったとのことです。もちろん、この時に、このマグロを食べて、体の具合が悪くなった者は一人もいませんでした。マグロに罪はなく、ただ、彼の免疫力が低下していたに過ぎないのです。

古語に「水清ければ魚棲まず」とあります。これは、人の人格性について語られた警句ですが、これはまた、他の自然界の法則にも案外あてはまるのです。すなわち、自然環境でも人間環境でも、「清濁」があまり極端になるのは、好ましいこととは言えないのです。

そこで望ましいのは、「清濁のバランス」がとれていることです。そのためには貴方は、ある環境から遠ざからねばならない時もありましょうし、また、貴方自身で、その環境を作り変えなければならないこともありましょう。

いずれにしても、貴方は自分自身で、貴方自身の環境を選択し、また、築いていかなければなりません。ということは、「他の人の教え」に、唯々諾々として従っていてばかりは駄目だということなのです。それが、どんなに高邁な教えであろうとも、です。要は、貴方は貴方の人生の主人公だということです。

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