浮浪者から実業家に
浮浪者から実業家に
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1929年に始まるアメリカの大恐慌時代、いくつもの銀行がつぶれました。そのなかのひとつの銀行の頭取は、世をはかなんで蒸発してしまいました。頭取から一転し、浮浪者となって、公園にたむろする身となったのです。
「乞食は三日やったらやめられない」といいますが、彼は「二度とあくせく競争するのは嫌だ」と、ブラブラ暮らしていました。この自由な生活に、真の安らぎをおぼえたのでしょう。
ある雨の日のこと、ひとりのルンペンが、彼に「どこか雨露をしのいで寝られるところはないか」と尋ねてきました。ガードの下か廃屋か、とにかく彼がその場所を教えると、ルンペンは彼の手のひらに五セント玉をおいたのです。そのとき、彼の身体のなかに、事業家の血が再び流れはじめました。
雨をしのげる場所を教えたら、五セントもらえる
いくら浮浪者でも、お金は必要です。自分は何ヶ所、そんな場所を知っているか・・。彼はノートを出して、知っている場所を書き出しました。しばらくすると、公園にたむろしている連中の間に、「寝るのに困ったら、彼のところに行けばいい場所を教えてもらえるよ。ただし、五セント必要だがね」という評判が立ちました。
おかげで、彼は金を稼いだだけでなく、いろいろな人に会うことになって、さまざまな情報を持つようになったのです。そして、この情報も売る。「ケンタッキーから来た、ジョンってやつを知ってるか」と聞かれたら、「そいつだったら、セントラルパークの西のほうにいるよ」という「情報産業」を始めたのです。一年後、彼は公園の近くに店を出し、不動産屋を始めました。十年後、彼の会社は以前の銀行より大きくなっていたそうです。
保有力がある人は、たとえ一敗地にまみれても、そのままでは終わりません。だれでもひとつやふたつ、「雨露をしのいで寝られる場所」は知っていたはずです。しかし、知識や情報の力を商売にしようとする人間はほかにいませんでした。「情報を金に変える」というインスピレーションは、右脳からわき出てくるものです。富の保有力のない人には、このようなインスピレーションはわき出ません。
アラヤ識論によれば、日常的にそれを願っている人に、「富の保有力」が深層意識に蓄えられます。彼のように、一度は金持ちになった人、あるいは、もともとの金持ちで、「富の保有力」のある親に育てられた人のほうが、「金を得る」ということに関しては、有利です。生まれながらの金持ちは、ますます金持ちになり、貧しい者は、ますます貧しくなる・・。しかし、金持ちには、社会的な制裁もあり、相続税に押しつぶされたり、金に対する欲望が希薄なために、没落したりする危険もありますが。
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