人の二倍は働いている人が報われないわけ

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私は、人の二倍は働いているのに、なぜか金とは縁がなくて・・」などと嘆く人がいます。「働き者」や「努力家」が、すべてそれ相応に報われるわけではありません。むしろ、朝はだれよりも早くから、夜はだれよりも遅くまで、一生、額に汗して、働いたとて、せいぜい先祖伝来の田畑を守りきれるか、「うさぎ小屋」の家一軒も残せるかどうか・・というところでしょう。虚しくなります。

しかし、一方に、「成功者」といわれる人たちがいるのも、また事実です。文字どおり「裸一貫でスタートし、トントン拍子で莫大な財産を築き上げ・・」という人を、私は大勢知っています。

彼らは、一般に賞賛されるような、「働き者」とは違います。確かに、働き者、努力家でもあったでしょう。しかし、「人の二倍は働いて」も、自分の力、自らの持てるものには、限界があります。

ほとんどの成功者(物質的に成功を遂げた人)は人の力と、人のお金を生かして、富と名声を築き上げたのです。いかに人のふんどしで相撲がとれるか。他人の財力と能力を使いこなす、それだけの器量がなければ、「成功者」とはなれません。

「金の力」と「人の力」、このどちらが欠けても、成功は得られない。金を集める力はあるが、人心を集める魅力がない。逆に、人望は厚いものの、金銭的苦労がつきまとう。これでは、一時的な発展はあっても、最後は、金にも人にも見放されます。「新進気鋭の経営者」「時代の寵児」などとスポットライトを浴びながら、「金の力」と「人の力」のアンバランスから、失敗、失脚していった人たちの名を何人もあげることができるでしょう。

歴史上の人物を思い起こしてください。あとでまたお話しますが、天下をとった豊臣秀吉、徳川家康などは、現代でいえば、経営者として「成功」した人物です。織田信長や石田三成などは、人心をつかみきれずに、志なかばで失脚しています。また、「立派な人物」としてあがめられながら、財を得られずに消えていった無数の人々がいるはずです。人の力と金の力をバランスよく活用してその相互作用ではじめて成功者になれるのです。

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