世の中の常識について

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過去において決まりきった一つの常識、先人によって与えられたものが、絶対ではないことの一つのケースを寓話で紹介します。

野原があった。そこへ一匹の子牛がやってきた。子牛は気まぐれに、くねくね曲がりながらその野原を通って行った。

その翌日、狩人に追われた鹿がやってきた。鹿は子牛の通った、草がねているあとを逃げていった。(緊急の時は、創造しているひまはない。人の通ったあとを通るものだ。)狩人もそこを通って追って行った。草はますますふみつけられ、はっきりと曲がった道ができた。

その次の日は羊が来た。羊は、その曲がりくねっていると不平を言いながら通っていった。

しばらくたって、こんどは旅人が来た。旅人もその曲がった道を通っていった。こうして、草はとれ、土面が顔を出し、曲がりくねった小道が出来上がった。こうなると、村人も、旅人も、馬車も、犬も、そこを通る。

月日は矢のように過ぎ、その曲がりくねった小道は大通りになった。村の家々は、その大通りに沿って曲がりくねって建てられていった。またたくうちに、そこは大都会の中心街になった。

鉄道も敷かれたが、その線路も道に沿って曲がっていった。

何十万人もの人々が、今もなお、三百年も昔に通った、あの子牛に導かれて、くねくね曲がりながら通っていく。

確固たる前例なるものは、こんなにまでも尊ばれるのだ。

解説:つまり何百年もの間大勢の人間が、まっすぐ行けばいいものを、もともとここは曲がっているなどということで曲がった道を通ってきた。どうして曲がったのかと思ってよくよく昔をたずねたら、何の事はない、一匹の子牛がヒョコヒョコいいかげんに歩いたに過ぎたかったと、そういう話です。

引用:「非まじめ」のすすめ(森 政弘)

常識は正しいものとは限らず。現在、常識とされている事柄は、先人の何らかの気まぐれの結果ということもあります。偏見なしに物事を判断する目を養いたいものです。※「非まじめ」のすすめ、非常に面白い内容でした。

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