自己重要感
自己重要感
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ある雨の日、背中を丸めたおばあさんが、杖をつきながら、ひとりでワンマンバスに乗ってきました。二〜三段のステップを上がるのに、けっこうな時間がかかります。
やっと運転席のところまで上がってきて、ふところの「何か」をチラリと運転席に見せ、そうしてまたヨロヨロと歩き出そうとしたとき、運転手がマイクを通して叫んだのです。「そんなんじゃ、見えねえよ!」。どうやら、おばあさんが見せたのは、都が支給する無料バスで、運転手はそれが確認できなかったということのようです。
おばあさんが、すまなそうに何度もお辞儀をしながら、もう一度ふところからパスを出すと、運転手の「ああ」というぞんざいな声が聞こえました。そして、「待ちきれない」とでもいうふうに、おばあさんが座席に着く前に発進したのです。いかにも、「タダで乗せてやってるのに」という態度、口ぶりで、当のおばあさんだけでなく、乗り合わせていた人は皆不快な思いをしたでしょう。「タダで乗せてもらう」おばあさんは、運転手に抵抗することができません。しかし、「タダで乗せてやる」のは、この運転手の力ではないはずです。なぜ、こんな尊大な態度をとってしまうのか。
うっとうしい雨の日に、うっとうしい年寄りの客。運転手のイライラは高まっていました。職場か家庭で、何か嫌なことでもあったのかもしれません。とにかく、このとき、「どうしておれはこんな仕事をしなきゃならないのか」と思っていたことは確かです。つまり、自分の自己重要感が満たされていない。「こんな仕事をさせやがって」という被害者意識や「こんな仕事をしなきゃならないなんて、情けない」と、劣等感にさいなまれているのではないでしょうか。
劣等感や被害者意識を持っていると、たいていの人は、無意識に、相手の自己重要感を傷つけて、自分の自己重要感を高めようとするようです。役所に何か手続きをとりに行って、横柄な役人の態度に閉口した、という経験を持つ人は多いでしょう。また、販売や営業、旅行の添乗などに携わっている人は、毎日のように、非常識で傲慢な客にウンザリさせられているはずです。
「自己重要感を高める」のが人間の本能のひとつだとすれば、その自己重要感が満たされていない人は、自分のポストと相手のポストの力関係を利用して、自分の優位性を保とうとやっきになります。相手の自己重要感を高めるどころか、相手に助けを求めてしまうのです。相手の自己重要感を高めるには、まず、自分の自己重要感を満たしておかねばなりません。自分に財産がなければ、相手に分け与えることはできないのです。
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