欲している人のところに集まる「おもしろい金」
欲している人のところに集まる「おもしろい金」
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悲しい金、楽しい金があるならば、「おもしろい金」というのも、あるのでしょうか。実際、「おもしろいように金が儲かる」などということはあるでしょう。「人間のインサイドにおける思考(考えていること)とアウトサイドにおける物質とは、本来同じものである」という考え方があります。
精神世界にも、物理法則は働きます。深層意識の奥に押し込んだものは、アウトサイドに押し返される。よいイメージを思い描いて、しきりに願うなら、そのイメージは深層意識に育てられ、いずれ外に出て、欲していたものを得ることになります。悪いイメージを思い描き、しきりに恐れるなら、それも実現してしまうでしょう。
前の章で、「初めに欲望を持て」とお話ししたように、「どうしても金が欲しい。成功したい。いい女をモノにしたい」と願い、「金持ちになった自分、成功した自分、いい女を手に入れた自分」をイメージしている人は、それが実現します。逆に、いつもいつも「この財産を失ったらどうしよう」「いつかはひどい目にあうのではないか」と恐れている人には、その不幸が訪れます。
インサイドに押し込んだことはアウトサイドに出て、アウトサイドに出したものはインサイドに押し返される。反動の法則です。自分はリッチだ、リッチになれると思っている人には、なぜかおもしろいように金が集まるものです。これが、「おもしろい金」といえるかもしれません。
たとえば、百人の人間の集団に百万円の金を投げ込めば、それぞれが一万円ずつ手にする勘定です。しかし、実際にはそうはならずに、「自分のモノになる」と思っている人間だけが手に入れます。これは、「善人」「悪人」には関係ありません。「自分には金が入る」という想念が、金をもたらすのです。潜在意識には、願いや夢をかなえる力がある、この潜在意識のことを、仏教では「アラヤ(阿頼耶)識」といいます。
自分は金持ちになれる、金を得るに値する人間だと思っていれば、あらや識に富の保有想念、保有力が蓄えられ、金銭的な成功に一歩近づくものなのです。「濡れ手で粟」という言葉がありますが、せっかく粟をつかんだところで、その手が十分に濡れていなければ、粟はまた、すぐボロボロとこぼれ落ちてしまうでしょう。富の保有想念がない人、もともと「金がほしい」と念じていなかった人は、たとえ粟の山をつかむチャンスに恵まれたとしても、乾いた手を出すしかありません。
宝くじで一千万円を当てた中学生がいました。少年は、有頂天になって、まず、母親に200万の「こずかい」を渡したそうです。そして半年後には、彼には100万の借金ができていました。中学生には衣食住の心配がなく、飢えに対する恐怖感がなく、富の保有観念がなかったのです。「悪銭身につかず」、たまたま競馬で儲けても、それで商売を始めて成功した人はいないでしょう。
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